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Everybodyさん, Anybodyさん, Somebodyさん、そしてNobodyさんに会う

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • May 25, 2019
  • 5 min read

以下に最初に考えておくべきお話があります。このお話は一時期、広まったものですが、知っているのとこれを用いるのとでは違う事なのです。

これはEverybodyさん、 Somebodyさん、 Anybodyさん、そしてNobodyさんという名の人々のお話です。実行すべき有る重要な仕事がありEverybodyさんはSomebodyさんがやるだろうと思っていました。Anybodyさんはできそうでしたが、Nobodyさんが行いました。Somebodyさんは、これはEverybodyさんが行うべき仕事だったので怒りました。EverybodyさんはAnybodyさんができるだろうと思っていましたが、NobodyさんはEverybodyさんはやらなさそうだと思いました。結局、NobodyさんがAnybodyさんができそうな事を行い、EverybodyさんはSomebodyさんを非難して終わりました。

私たちは専門家たち如って成り立っている世界に暮らしています。ある面ではこれは素晴らしい事です。特にその人の専門性を私たちが必要としているとき、その分野についてのその人の専門性を誰もが称賛するのです。しかし、誰でもができることについて「それは私の部署ではない」と言ったり考えたりするとき、話は違ってくるのです。

世の中にはたくさんのニーズと何かを必要としている人々がおり、それはその気になれば誰でもできるようなものだったりするのです。私は自分の教会で以前、あった事を覚えています。私はゲストの方を礼拝堂の中を案内しました。その方は初めて私の教会に来たので、私は彼に色々と良く知ってほしいと思ったのです。私たちが会合の場に向けて礼拝堂を通り抜けていくと、いくつかの椅子の配置が乱れているのに気が付きました。私は執事たちに椅子を整頓しておくようにお願いしました。すると執事がこういうのです。「それは私の部署の担当ではありません。それは私の召しではありません。それは私の恵みの尺度ではないのです。」私はこう思いました。「ヒューストンさん、私たちには問題がある。」

おわかりでしょう。ほとんどのAnybodyさんは椅子を元の場所において整理できるのです。しかしNobodyさんがそれをしました。(つまり誰もしなかった) なぜでしょうか? それは私の部署のことではないなのです。それは私の仕事ではないなのです。多くの専門家たち、プロフェッショナルたち、政治家たち、学者たち、神学者たちが行きたがらないところに、奉仕するリーダーとは行くものなのです。多くの人々は、現実的でわかりやすい方法で他人に奉仕することから抜け出る道を探しているのです。アカデミックで哲学的ではなく、現実的でわかりやすい方法で他人に奉仕する道を探すことを私は提案したいのです。

 聖書のイエスについてみてみましょう。イエスの恵みの尺度を超えるものは何もないのです。イエスは人々に価値を見出しました。彼はそれを示し、それと共に生きました。彼は必要としている人のために時間を割き、誰か他人が成すべきことにも時間を費やしました。彼は子供たちのために時間をつくりました。誰もが来ないような時間に井戸に来ていた女性に語りかけました。彼はローマの千人隊長の召使を癒すために旅を中断しました。聞いたことがないことを彼はしたのです。何故でしょうか? 彼は天の父が彼に成すように語った事だけをしたのです。これをすることで、イエスは神がどのようなものかを私たちに示したのです。神は全ての人を愛しています。Everybodyさんは神とともにいるSomebodyさんのなのです。

おわかりでしょう。「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」(Iヨハネ 4:19)。 これは誰もが誰か他人に向かって「私を愛したなら、あなたを愛します」と言っていたときのことなのです。しかし人々はこう言っていたのです。「いいや、あなたが私を先に愛したら、私はあなたを愛しましょう。」そのようなことが何百年も続いていたのです。そして遂に、イエスが行ったり来たりのピンポンゲームを止めたのです。イエスはいくべき道を見つけてこう言ったのです。「私はあなたを愛しています。さあ、あなたは私と皆を愛することができます。」彼は解決するタイプであり、孤高のタイプではなかったのでする彼は「もしあなたが、そうすれば私が」といったものをやめたのです。彼は必要を見出し、それを満たしたのです。

Anybodyさんができる時に、Nobodyさんが行い、EverybodyさんがSomebodyさんを非難するようなことを止めるための最後の思いがあります。必要とされていることを見つけ、それを満たしましょう。解決的な人になりましょう。世の中にあっては皆さん自身は一人の人でしかないのですが、その一人の人にとっては皆さんは世の中全てなのです。物事を見れば見るほど、始めようとする志は、世の中に大きな違いをもたらす最も小さなことであると、私はよくよく思うのです。野に足を踏み出してみましょう。会議の場で立ち上がりましょう。クラスで手を挙げましょう。垣根を超えましょう。そしてステージに上がりましょう。最初の質問をするのです。リスクを取り、何かを始め、何かに貢献するのです。

世の中で一番になるかならないかという事は相対的なことなのです。多くの場合、私たち自身がもたらす価値とは、自分自身がそれを与えようとして頑張るほどに大切ではないのです。始める勇気を持つという事は、成功することよりも大切であり、なぜなら常に何かを始めている人々とは最後に何かの形で終えることのできる唯一の人だからなのです。

恐らくは私たちはこう言うことができるのです。助ける手を見つけることのできる素晴らしい場所とは、自分の腕の先だと。

Ed Delph May 27, 2019 CCC

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Peoria, AZ 85383 USA

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