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知っているけど、知らない戦略

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Jun 5, 2021
  • 5 min read

Updated: Mar 29, 2022


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皆さんはドーベルマン戦略 について耳にしたことはありますか? その運用を見たことはあるでしょうけれども、どのような結果をもたらしているかは目にしたことはないと思います。誰か二匹のドーベルマンで家を泥棒から守っているとしましょう。もし皆さんが泥棒なら、やるべきことは庭先にステーキを一枚投げ込むだけです。そしてドーベルマンたちがステーキで争っている間に、その横を通り抜けて家から盗むのです。(もちろん、ステーキをもう一枚持っておき、家から出て帰る時に使えるよえにした方が良いでしょう。)


ドーベルマンの中心的な考え方は「自分腹ペコ、友人忘れる、家を守るよりもステーキ大切」です。(私はこれをターザンのような言葉で書きました。もしかしたら二匹のうち一匹のドーベルマンはターザンという名前かもしれないからです。)


それは守られている家から盗むには効果的な方法であり、戦略なのです。OK、そこにいる犬の訓練士の方の一部は私に同意できないかもしれませんが、考え方はわかっていただけるでしょう。私たち人間は誰しもドーベルマン戦略に頻繁に引っかかっているのです。私たちは、何かより目先のものや、より引き付けるものが目の前に現れると、主な目的から目をそらしてしまうのです。


実際の人生でドーベルマン戦略に陥っている例を一つお話させてください。彼は、その信仰のリーダーの前で、信仰についての試練に直面しました。彼を非難する人たちは宗教的な人々の二つのグループでした。サドカイ人とパリサイ人です。それぞれのグループの人々はパウロの悪い行いで非難しようとしていました。しかし彼らが一緒になって合流し、話を始めようとするにしても、彼らはそれぞれの神学的な視点を持っていました。一つのグループはイエスキリストの復活を信じ、もう一つのグループは信じていませんでした。

パウロはどうやってこの状況から抜け出したのでしょうか? 使徒の働き23:6「しかし、パウロは、彼らの一部がサドカイ人で、一部がパリサイ人であるのを見て取って、議会の中でこう叫んだ。『兄弟たち。私はパリサイ人であり、パリサイ人の子です。私は死者の復活という望みのことで、さばきを受けているのです。』」彼は神学的な違いというステーキを、宗教的な集まりの場の中に投げ込んだのです。それはミュージカルのTrouble in River Cityだったのです。


その結果はどうだったのでしょうか? パリサイ人とサドカイ人たちは、それぞれが自分たちは正しく、相手が間違えていると考えており、互いに言い合い始めたのです。聖書はその光景を「衝突」「割れた」「騒ぎがいよいよ大きくなり」「激しく論じ」そして「パウロが彼らに引き裂かれてしまうのではないか」と述べています。それはドッグファイトでした。ユダヤ人たちは自分たちの間で争ったのです。何故でしょうか? かれらはABCに焦点を当てるのではなく、枝葉末節のXYZに焦点を当てたからです。


パウロはどうなったのでしょうか? ローマ人の隊長は会合からパウロを力ずくで引き出し、兵舎に連れて行ったのです。このことを考えてください。パウロは、200人の兵士、70人の騎兵、200人の槍兵に自分の民から守られ、完全に身を守られることになったのです。何故でしょうか? 彼はドーベルマン戦略を知っていたからです。彼は何度もラビの学校でこれを見て学んでいたのです。その人生を通して、他人との関係の中にこれを見ていたのです。彼は人間の本質がどう作用するかを知っており、それを利用したのです。


私たちはこれを自分の人生、地域社会、国に当てはめることが出来るのです。私たちは個人の違いという小さなステーキによって分断されることを受け入れ、それはドーベルマンのようなものなのです。埋められない違いを持っている長い間連れ添ったカップルの結婚を見てください。誰か、或いは何かのきっかけが彼らにとって敏感な問題についての小さなステーキを投げ込む、それだけで、彼らの内側にたまっていたものが出てくるのです。議論に勝ち、上に立ち、自分の主張を証明すること、それらが彼らの間の関係よりも重要になるのです。分断された家は存在しえず、立ちいかなくなるのです。その波は続いていくからです。


私たちはこの状況を多くの国、地域社会、人間関係、そしてビジネスにおいて今日見ることが出来ます。私たちは2016年の大統領選挙でこのドーベルマン戦略が作用していたのを見ました。この場合、ロシアでした。我々の国が分断し分裂するように特定の問題についてのFacebookページを作り出したのです。彼らがすることは、庭先にステーキを投げ込み、そしてドーベルマンたちがAからZまでのすべてについて争うことを待つだけでした。その間、泥棒たちは国の団結や関係を盗んだのです。しかし、これについてロシアの責任を問うことは、それに続いて事を引き起こした私たちに対する責任を問うことでもあります。


賢くあり、その場の議論に勝つことなどは、私たちのビジネス、地域社会、人間関係、或いは国を失うことよりも大切ではないということを理解し学びましょう。衝動、無関心、或いは自分勝手さの犠牲者にならないようにし、戦いに勝って戦争に負けることのないようにしましょう。そのステーキは食欲をそそるかもしれませんが、重要な目的の姿を見失わないようにしましょう。人々が自分のステーキに執着するあまり、自分のゆくべき道よりも、国、教会或いはビジネスを破壊するのを優先してしまうのを見てきました。


現在、ここアメリカ合衆国では、真の解決を必要としている爆発寸前のいくつかの問題の中を我々は通り抜けており、それは聖なる知恵でしか解決しえないと思われます。そして、もし私たちが問題を解決している間に、家を守る方法をショートさせ続けようとする泥棒と餌の戦略に引っかからなければ、私たちはそれらを解決できるのです。


エド・デルフ/Ed Delph June 7, 2021, CCC



Ed Delph/NATIONStrategy

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