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本当の手入れによる馬の感覚

  • Writer: Ed Delph
    Ed Delph
  • Jun 12, 2021
  • 5 min read


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場面を設定させてください。何年か前、私は出荷の時期にニューメキシコ州のRed Lake牧場にいました。出荷はRed Lakeでの大仕事でした。牧場からはおよそ700頭の牡牛、700頭の若い牝牛を毎年秋に出荷していました。ニューメキシコ州Albuquerqueから60マイルほど離れた高地にある125,000エーカーの牧場に散在している家畜を集めるのには、周辺の牧場主たちが率いている全てのカウボーイやカウガールを必要としました。そして、当時20代後半の私は、「全くの」ウェスタン式の牧場出荷に加わったのです。


私が乗っていた馬の名前は「Quien Sabe」でした。私は平均的な馬乗りでしたが、Quien Sabeはちょっと高級な牧場馬でした。何故、彼らが私にQuien Sabeをあてがったのでしょうか? 彼らは私が何も知らないことを知っており、そして馬は知っていたのです。Quien Sabeはスペイン語で、誰が知っている? 誰に言うべき?という意味です。


出荷の最終段階は家畜たちが出荷用牧草地から出荷用の柵へと移動させることです。そこで家畜たちは体重を計られ、家畜用のトラックに載せられるのです。出荷用の柵に向けて全ての馬乗りたちがV字型の形に並ぶのです。そして「point」と呼ばれる馬乗りが一人います。「point」になった馬乗りは、V字型の真ん中に進み、家畜をV字型の狭まった端へと家畜を追いやり、出荷囲いの開いているところへと導くのです。お判りでしょう。私とQuien Sabeは「Point」の任務を受けたのです。最初、Quien Sabeは700頭の牝牛をケートへと導き素晴らしい動きをしました。私はその馬の背に乗って楽しみました。


本物の牧場馬が実際に仕事をするのを見るのは何とファンタスティックな体験でしょう。時々、若い牝牛がVの字の体形をすり抜けて逃げようとするのですが、Quien Sabeはそれを見つけて先回りし、群れに戻すのです。何度も何度も家畜はQuien Sabeを試すのですが、うまくその馬は対応していくのです。毎回、Quien Sabeの勝ちです。そしてその馬は振り返って私を見つめて、まるてこう言うかのような顔をするのです。「うまいだろう? 俺はすごいんだ! 見て学べよ、町から来た兄ちゃん。この出荷が終わったら、あんたは俺を『素晴らしい馬』と呼ぶぜ。」


何時間もかけてカウボーイたちとカウガールたちが作業をした後、Quien Sabeと私は700頭の若い牝牛を出荷用の柵へと追いやっていました。しかし、群れの最初の列はアルファという名前の牝牛でした。彼女はその群れのリーダーで、他の牛は黙ってその牛についていくのです。今度はアルファがその頭を出荷用の柵に突っ込んだ後、その群れに向かって「私はこの先には進まないわよ」と伝えたのです。彼女は180度向きを変え、ぜんそくで走りました。そして他の牝牛たちも直ちに何の疑問もなく、彼女の後を追いかけたのです。このような集団行動について聞いたことはありますか? 牝牛たちはこれをよくやるのです。


さて、Quine Sabeと私は700頭ほどの牝牛の群れがこちらに一斉に向かってくることとなり、全く誇張ではないのですが、正真正銘の、ちょうど映画のようなニューメキシコ州の牛の群れの疾走のなかに立つこととなったのです。Houston、或いはRed Lake牧場で私たちは問題に直面したのです。群れが私たちに向かって疾走してくるにつれ、私の目よりも大きな目を開いていたのは、Quien Sabeでした。彼の耳は横になっていましたが、ぴんと立ちました。彼は迷いながら前に進み、どの牝牛を先に捕まえるかを決めようとしました。


私はこの勇気を素晴らしいと思いながら、自分の生き残りたいという本能のスイッチが入りました。QuienSabeにまたがる、まだ未熟な青二才の街の馬乗りは命令したのです。私たちは180度向きを変え、逃げ出しました。QUien Sabeは決して振り向きませんでした。私たちは全力で前に進み、後ろからは牛の群れが追ってきました。そして20頭くらいの馬と馬乗りたちが私たちと牛の群れを追って走ってきました。神に感謝なのは、Quien Sabeは牛よりも早かったことです。私たちの馬乗りたちの姿はローラースケートを履いたタコのようだったと想像します。皆、それぞれ動くのですが、その動きはバラバラで、前に行くのか、後ろに行くのか、横に行くのかもわからない状態でした。


長い話を更に盛ると(カウボーイはよくそうするのです)、私たちは何とか全ての牝牛を再び集め、今度はうまくいきました。しかしQuien Sabeは、二度目の挑戦であり、Quien Sabeは全く自信がなさそうでした。もしかしたら、私はQuien Sabeを少し擬人化してみているのかもしれませんが、彼は重要な教訓を学んだように見えました。時として、自分がそこから抜け出るべき時に、そこにとどまるのは最善ではないのです。高いところに立っている馬がそこから降りることは簡単ではないのですが、そうしないともっと大変なことになるのです。


聖書はQuien Sabeの類のような人々に対しての知恵を書いています。ヤコブの福音書4:10です。「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」聖書の知恵は、へりくだるのは私たちの側のすべきことであり、神のすべきことは私たちを高くすることだと言っているのです。時として私たちはQuien Sabeのようであり、時として高ぶろうとするのです。すると神は私たちの仕事をし、私たちをへりくだらせるのです。私たちは、自分でへりくだった時に、高くしてもらえるのです。自分の馬の感覚を身につけましょう。それは安定した思考へと至るのです。


ここに教訓があります。Quien Sabe(誰が知っている?)は、自分と恐らくはその上に乗っている馬乗りの命を救った大きな危機に直面した時、ちょっとした知恵を用いることを知ったのです。自分が気位の高い馬をやめてへりくだることを拒否するQuien Sabeのままでは、すべて自分でやろうとする気持ちによって徹底的にダメになってしまうのだということを学んだのです。Quien Sabeは700頭の牝牛の群れは、大きな牛の群れであり、角の生えた牡牛の群れでないにしても十分に危険だと学んだのです。


時として、一人でできないことを学ぶのは、一人でできることを学ぶよりも大切なのです。


エド・デルフ/Ed Delph June 14, 2021, CCC


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