2019年9月15日日曜メッセージ
- yoichi

- Sep 20, 2019
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オール・セインツ
アメリカの福音映画。実話。
テネシー州の田舎にある信徒十数人になった教会。
借金により、教団から廃止の決定。廃止の処理をするためのセールスマンから転職した新任牧師がくる。牧師夫人が夢見ていたピアノの奏楽をするにも、ピアノは売られてなく、聖歌隊もすでにない。
ミャンマーのカレン族が迫害により難民としてテネシーに移民。
元々クリスチャンだった信徒たち(迫害で暴力の吹き荒れる中でも倉庫の中で隠れて礼拝を続けていた)が教会に来る。
周囲の目。
昔野球場だった広大なグランドを見て、畑を作ることを提案。牧師は雨の中祈り、神の声を聴いたとして、グランドに作物を作ることを考える。カレン族もその提案をする。作物を売れば借金が返せるとの目論見。教団を説得。取り合えず収穫までの猶予をもらう。昼はチキン工場、朝早くは畑作業。
次第に信徒たち、昔、親や祖父が信徒だった村人たちが協力。
牧師自身も農作業道具の為に借金。牧師夫人はピアノがないのでギターを借金で買い演奏。あては全て農作物の収穫の売り上げ。
教団の財務を担当している理事の牧師が言う。「昔。アフリカで伝道し、苦労して教会堂を建て上げたが、後に村に井戸と水道を作ることになり、教会堂は村人たちによって壊され、井戸と水道の建設資材にされてしまった。」と途上国の人々への伝道の無意味さを語る。
日照りを乗り越え、なんとか収穫にたどりついたその日、大雨が降り、作物の大半は流される。しかし残った作物を収穫祭の直売で売るめどをつけ、一部のミャンマーの野菜はまとめて売れるめどがつく。しかし、運ぶ途中、その車を誰かが勝手に使って違反していたため、警察に捕まり、炎天下の中で放置された野菜は全てダメになる。結局、資金は足りず、教会は解散とすることになる。
何故、神はこう言うことをするのか、子どもにも言われ新任牧師は言葉を失う。神の声ではなく、自分の心の声ではなかったかと悩む。
しかし、教団の財務担当の理事がある行動を起こす。自分は今の高給の立場を辞任し、若い人たちに昇格させ、浮いた給料でその教会の借金を支払う案を決定。自分は薄給でその教会の開拓牧師になることを決意。新任牧師は若く子どもも小さいので大きな教会の副牧師の地位をもらう。
そして理事だった牧師は言う。「私は気づいた。神様が必要としているものと私の必要としているものは違うんだ。そしてそれを私は知らなかった。アフリカの人たちは教会堂よりも水道が必要であり、このテネシーの人たちは教会堂よりもつながって助け合い集まるコミュニティが必要だった。神こそが、わたしたちが本当に必要なものは何かを知っている。」
この中で私たちは何も知らないとの日曜メッセージ(教団が作ったもの)が使われるシーンが出てくる。ある意味、自分たちの勝手な思いで動いていた姿を正直に描いている。
マル
4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。
4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
士
11:1 さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。
社会学の世界では、人間の行動というのは主に二つの要素から決まるとして考えます。両親と環境。この観点からすると、エフタは説明がつかないのです。しかし、神は違うのです。神の言葉はこう述べています。
イザヤ
43:18 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。
43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。
Ⅱ歴代
33:19 彼の祈り、その願いが聞き入れられたこと、および、彼がへりくだる前に犯したその罪、その不信の罪、高き所を築き、アシェラ像と刻んだ像を立てた場所については、ホザイの言行録にまさしくしるされている。
イエスを私たちの人生の主となるときを考えましょう。私たちのDNAや置かれている環境は、神が私たちにこうなってほしいと願っている全ての通りになることを、妨げることができないのです。
ただ妨げるものは高ぶりであり、へりくだりが神の道を開く。
エフタは、その人生を終える前にイスラエルで最も若いリーダーとなり、へブル書11章に書かれている聖書の信仰の英雄の一人に数え上げられているのです。
ヘブル
11:32 これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
11:33 彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、
11:34 火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
神は物事をひっくり返して変えてしまうのが得意なのです。もしかしたら、皆さんは自分が思っている理想とはかけ離れた環境に生まれたでしょうか? そして自分がそれを乗り越え克服できるか、恐れているでしょうか? 答えは「できる!」です。ですから、誰かが皆さんの過去を用いて、皆さんをもう一度倒そうとしたら、その相手にエフタを思い起こさせるのです。真実は私たちの神はすごいの一言です。神は私たちの不利な部分を高く持ち上げ、有利な側面を持っている他の全ての人々よりも高くすることができるのです。
Ⅱコリ
12:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
神は拒絶されのけ者にされた人を用いるのが得意なのです。神はヨセフを用いました。彼は兄弟たちに穴に投げ入れられ、父親には死んだものとして思われていた男です。神はダビデを用いました。彼は、その家族から小さなものとして軽んじられ疎んじられていた羊飼いの少年でした。神はイエスを用いました。彼は
詩
118:22 家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。
であり、
ルカ
20:17イエスは、彼らを見つめて言われた。「では、『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石となった。』と書いてあるのは、何のことでしょう。なのです。
なのです。
神はこれらと同じことを私たちの人生にもするのです。ですから、元気を出しましょう。神は私たちの人生に対して計画を持っており、私たちが神と共に時間を過ごしていくなら、やがて神は私たちにその計画が何なのかを解き明かしてくれるのです。
伝
11:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。
ヘブル
11:1 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
信仰
G4102 πίστις pistis pis'-tis
追い求めているもの、信条、信頼、道徳的な信念(あるいは宗教的な真実、神の正しさ、や宗教的な教師の正しさ)、特にキリストの救いの上に信頼をおくこと。宗教的な真実(福音)の体系を広げることによる、そのような考えに対する抽象的な忠誠。確信、信条、信仰、忠誠。
ハバ
2:4 見よ。彼の心はうぬぼれていて、まっすぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
【信仰】
文字通り堅固、堅さ、断固とした態度。比ゆ的に安心/安全、安心感、道徳的な忠誠、信仰、事務所を定める、安定した状況、一定した状況、本当に、実際に、真実。
「神からの特別な示しもなく、正しいことをしっかりと追い求めている人は誇りだ」
創
17:1 アブラムが九十九歳になったとき【主】はアブラムに現れ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。
ロマ
1:17 なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。
ガラ
3:11 ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。
ヘブル
10:35 ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。
10:36 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
10:37 「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。
10:38 わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」
10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。
マル
4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。
4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
ヨハ
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
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